🍑自己紹介させていただきます。②
ごきげんよう。ななむらももなです!
前回の自己紹介では、「私が社会人になるまで」と「拒食症」についてのお話をしていきました。
今回は『インストラクターになったきっかけ』について投稿していきます。少しでも摂食障害で悩んでいる方やヨガ・ピラティスを始めてみたいという方のお役に立てたらいいなと思います。
今回も長めです(笑)お付き合いください!!
<目次>
バーのアルバイトからなぜインストラクターになったのか?
・人間関係のストレスで拒食症→過食症になりました。
ヨガとはどうやって出会ったのか?
・痩せたいけど、どの運動も続かない・・・そんな時に出会ったのがヨガでした。
・『キツいけど気持ちいい』が正直な感想
・ある時先生から言われた「鶴のひとこえ」
・バーの仕事に学校にレッスン・・・3足のわらじを履きながら白目をむく日々
バーのアルバイトからなぜインストラクターになったのか?
・人間関係のストレスで拒食症→過食症になりました。
バーでの仕事は楽しかったです。いろんなお客さんがやってきてお酒を飲んで楽しんでいる。なかには「一杯どうぞ」と言って好きなお酒を奢ってくださる人も。私がいるから会いにきてくれるというレアなお客さんもいました(笑)
しかし、その様子を上司(先輩?)が気に入らなかったらしく、少しずついびられるようになりました。小さなミスをしつこくネチネチ怒ってきたり、お客さんの前で私の愚痴を言われたり。
最初は『怒られる私が悪いんだ』と思い改善しようと努力していました。
でも質問をすると
「聞かないとそんなこともわからないの?」
聞かずに自分で頑張っていたら
「何で聞かないの?迷惑なんだけど」
もうどうしていいか分からなくなりました。
そんなある時から、常連さんたちに
「だめだよ〜○○ちゃんを怒らせたら(笑)」
「今日はまだ怒られてないの?(笑)」
と言われるようになりました。
もうストレスです。はい。
大学の時からロクな人間関係を築いてこなかったので、愚痴れる友達もいない。
それ以前の友達とも相談をできるような仲の人がいない。(勝手に遠慮していたのもあります。)
親にはちゃんとした職についていない気持ちから相談なんてできない。
体を動かす習慣がなくなり、特に趣味もなく家と職場の往復ばかり。
そんな私のストレス発散法は『食べること』しかありませんでした。
バーの仕事は昼夜逆転のため、帰ってくるのは夜中の2〜3時ごろ。大量に買い込んだパンや1kgのチョコレート、ファミリアという2Lのアイスクリームを抱えて爆食い。食べ終わった後は罪悪感で泣き寝入り。
翌日はヘルシーなものを食べないといけないという気持ちから、うどんを白滝に置き換えたものを食べていました。(料理が下手って訳ではなかったはずなんですが、めっちゃ不味かったです。)
そうして職場へ行くと、周りの人たちから
「太った?自己管理ができていない」
「怠慢だ。痩せろデブ」
「若いのにもったいない」
笑顔で『ははは〜すみません』と返すも心はズタズタ。
負の連鎖に突入です。
いつしか体重はピークになり、拒食時(45kg)から+20kgオーバー。65kgは軽く超えました。
心も身体もボロボロで、仕事以外は家にこもる日々を送っていました。
ヨガとはどうやって出会ったのか?
・痩せたいけど、どの運動も続かない・・・そんな時に出会ったのがヨガでした。
何度もダイエットや運動をこころみました。でも心の疲労が大きく、体を動かすくらいなら家でじっと横になって過ごしたい。というのが本音でした。
しかし、筋力の落ちた身体で、一気に増えた体重を支えることはむずかしく、持病の股関節が痛み始めました。
1時間以上アスファルトの上を歩くと痛みがひどくなり動けなくなる。
『さすがにこのままではヤバい。何か運動をせねば。』
でも股関節が痛む外でのウォーキングやランニングは無理。
競技スポーツはもうしたくない。勝ち負けというストレスが嫌だ。
こんな私でもできるものはないか・・・
そんなある日、ネットサーフィンで見つけたのが『ヨガ』でした。
実は大学生の時に、ヨガやズンバといったクラスを受講したことがあるのですが、鬼のようなスケジュールの実習だったのでそんなに深い印象がなかったんです。(笑)
『ヨガくらいならできるやろ』
という謎に舐めきった態度で、近くのヨガスタジオを探しすぐに体験に行きました。
・『キツいけど気持ちいい』というのが正直な感想
体験に行ったスタジオは、住宅街の近くにある少人数のスタジオでした。ダイエット広告でよく見るホットヨガではなく、常温のクラス。
白とクリーム色を基調とした自然がモチーフの綺麗な空間。たくさんの植物があり、陽の光が差し込みとても心地よかったのを覚えています。
70分のレッスンを終えた感想は
『え?何これ。やってるときは超キツいけど、終わった後の気持ちよさスゴい。』
でした。
完全に舐めてかかったヨガは、皆さんが想像している柔軟性ももちろん必要ですが、1番の印象は「呼吸を深く行う」ということでした。
何となくポーズをとっている時に
「呼吸は止まっていませんか?」
「無理して動いていませんか?」
「自分の心と身体に意識を向けて、受け入れてあげましょう」
先生のこれらの声かけを聞きながらヨガのポーズをとると学生時代に行なっていたスポーツとは違うキツさを感じ、同時に優しさを感じて何だか泣きそうになりました。
自分のために何かをする、意識するってこんなに気持ちがいいんだと知りました。
人間関係に臆病になっていた私は、周りのことばかりを気にして常に空気を読み、外面をよくして自分の気持ちを押し殺して過ごしていました。
でもここでは周りのことを気にせず、自分らしくいていいんだ。それがすごく嬉しかったです。
そして私は毎日ヨガスタジオに通いました。
(バーの仕事の後のやけ酒で二日酔いになり、サボってしまったこともありますが・・・笑)
痩せた!という訳ではなかったものの、周りに嫌味や悪口を言われても流せるようになり、過食が少しずつ落ち着いていきました。(もちろん、ストレスが爆発して食べてしまうこともありました。)
・ある時先生から言われた「鶴のひとこえ」
いつものようにヨガスタジオでレッスンを終えたある日、先生とお話をしていると
「ももなさんは探究心が強いから、ヨガの先生になったらどうですか?」
と言われました。
目から鱗です。
『私がヨガのインストラクターですか?』
と思わず聞き返してしまいました。(笑)
先生は
「ももなさんはお話しするのも上手だし、人の気持ちをわかる人だと思うから向いていると思いますよ。」
といってくださいました。
その鶴のひとこえで、
『あ、私ヨガの良さを伝えたい。』
『同じように辛い思いをしている人の役に立ちたい。』
そう思ってすぐに学校を探して通うことにしました。
・バーの仕事に学校にレッスン・・・3足のわらじを履きながら白目をむく日々
バーの仕事を続けながら、ヨガの資格を取るための講義を終えて数ヶ月、初めてオーディション(採用の実技試験)を受けました。
あのドキドキ感は忘れられませんし、いつになってもオーディションはドキドキします(笑)
気がついたら業務委託でのレッスン契約をしていたので、フリーランスとしての活動が始まりました。(インストラクターの業務形態については後々投稿しますね。)
オーディションに合格したものの、担当させていただけるレッスンは1スタジオあたり1〜2レッスン。
福岡はレッスン報酬があまり高くないらしく、(全盛期はすごかったそう)
いきなりバーの仕事をやめるのはリスクが高すぎる。(生活できるか不安)
もっと学校でいろんな勉強をしたいし・・・。(お金がかかる)
そんな不安があったため、3足のわらじを履いた生活を8ヶ月ほど続けていました。
10:00~14:00までレッスン、15:00~18:00講義、20:00~2:00までバー
みたいなタイムスケジュール。よく生きてたな私。
ありがたいことにオーディション合格が続き、多くのスタジオさんでレッスンを担当させていただきました。
バーでの人間関係から解放されたと思っていたのですが、
「ヨガの先生なのに痩せてないよね」
「ヨガの先生ってスタイルいい人しかいないと思ってた」
「もっと優しい雰囲気の先生のクラスを受けたかった」
と、最初の頃は生徒さんたちに色々体型について言われ、悩んだこともありました。
レッスンをして学校に行きバーで働いてストレスで食べて気絶するように寝るを繰り返す日々・・・
『こんな生活続けてたら私身体もたないわ・・・』
と思っていました。
ですが、この日常はある日『交通事故』によって終止符を打たれました。
こうして私、ななむらももなは「恩師の鶴のひとこえ」により誕生しました。
ただ、まだ自己紹介を完結させることはできません。
最後となる次回は
・交通事故で大きく変わった人生
・コロナによる影響でインストラクターをやめることも考えました。
・なぜここまで長い自己紹介をする必要があるのか?
これらをお伝えしていきます。
ついつい長々書いてしまうのですが、最後まで読んでいただけてすごく嬉しいです♡
次回もお楽しみに🍑
拒食症、過食症になってたんですね
ヨガに出会えて良かったです
そうなんです・・・ヨガに出会えて本当に良かったです!